海を感じる時のあらすじと無料視聴方法を紹介
1978年、若干18歳の作者中沢けいによって「文壇の事件」と称された問題作の映画化作品です。原作は30年前のものですが、映画の脚本はその当時すでに執筆されていたともいわれます。 ヌードマウスのようにむき出しの肉体と欲望をぶつけ合う若い男女の姿は、痛々しいと言いたくなるほど鮮烈です。愛のない行為を交わし続ける主人公の2人と、その関係を念慮している大人の姿の対比は画面上で明確に表現されています。あるいは、欲求だけを求める女の子を暴力的にあしらう男性の荒々しさも作品の特徴です。 海沿いの町で暮らす主人公の恵美子は、同じ高校に通う先輩の洋に恋心を抱いていました。ですが、彼女の淡い恋は洋のあからさまな欲求によって踏みにじられることになってしまいます。洋にとって、その時に重要なのは恋愛よりも肉体的な興味や欲求だけです。 ある日、キスをしてみたいという洋の誘いに乗ったことによって恵美子の洋への恋慕は抑えようもないものになっていきます。 反対に洋は、自分の欲求を抑え込むことに必死になり恵美子を避ける様になりました。それでも洋に追いすがり、荒々しいまでに恋にすさむ女子高校生を市川由衣さんが強烈なまでの演技で挑みます。若いよりは幼いというべき2人の恋は、生まれたての肉欲によっていびつに歪み始めてしまいました。 惹かれるがままに、どんな関係でもいいからと関係を迫りやがて遂げてしまう恵美子と洋。高校を卒業をした後、洋は恵美子を捨てるかのように東京へと立ちます。しかし洋に拘泥した恵美子も上京し、同棲生活が始まります。 まっさらなヌードを寄り添わせてただぼんやりたたずむ2人は、愛されるということを知らない無垢で悲しい子どものようです。まるで肉体的な感覚の共有だけだ、愛されているということの証明だというかのように。 ですがこの関係は、恵美子の母を大いに嘆かせます。あくまで誠実な恋愛関係を築くようにと諭す母の言葉は、はたして恵美子に届くのでしょうか。 肉欲の達成という大人は決して教えてくれないテーマについて、体当たりで学んでいくしかない姿は、制服を脱ぎきれない子どもそのもの。 何度お互いに情を交わしても、満たされない。満たされないままにどんどんおぼれていく関係、決して抜け出せない泥沼にはまっていくようです。 海を感じるときという物語は、原作者である中沢けいの一端を鮮やかに切り取った物語とも言えます。17、8歳のあどけない少女が、ふいに強制的に女へと引きずりあげられていくような描写は大人には正視できないかもしれません。 きっかけはささいなことでも、成熟の階段を上り始めている肉体の声は正直です。充分な知識も経験もない、しかし相手と感情だけはそこにある。どうしたらいいのか分からないけれど、ただ一緒に居たいからそのために体を触れ合わせているというのはなんとも悲痛です。 R15指定をされていますが、これは同じような世代にとっても深い意味を持つ作品です。ある日突然女になるのではなく、一枚一枚鱗をはがされる痛みを経験しながらでなければ成長できない少女の悲しさが迫ってくるでしょう。 この作品と向き合うことによって、視聴者は自分も経験していた無垢な感情を思い出すとともに現在の自分の肉体とも向き合うことになります。 市川由衣さんの繭を脱いだばかりの蝶のようなみずみずしい、しかしまだ弱弱しい姿は恵美子の感情を現実に表現するための依り代です。 いわゆる大人の言うことを聞いていい子にできなかった青春は、無残にも崩壊をたどりました。そして荒波のような大人の感情と欲望に飲まれていきます。このまま2人は賢い大人になっていけるのでしょうか、それとも波はもっと無情に迫っていくのでしょうか。 海とは、底なしの欲を表すメタファーなのかもしれません。 この動画は以下のVODから初月無料で視聴できます。 |
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